反対されながらの音大受験
「フルートを吹いている」というと
お嬢様だとか、ステージママ的な母と二人三脚で頑張っているとか
そういう感じで見られることが多いのですが
私の場合は全然違います。
親に「音大に行きたい」と言ったところ父は応援してくれましたが、母は大反対。
「お金がかかるからダメ」と母に言われてしまいました。
でもどうしても音大に行ってプロになりたかったので
勝手にフルートの先生を見つけてきて
「この先生のレッスンを受けるからレッスン代をください」
と母に言い、強引に音大受験の準備を始めました。
また当時住んでいた家は賃貸のマンションだったので
フルートの練習が夜8時までしかできなかったのですが
これは音大受験生にとっては致命的。
1日10時間の練習を言い渡されていた私にとっては
非常に辛い練習環境でした。
家での練習には限界があると思い
1日のスケジュールを見直して、朝と昼休みに学校で練習することにしました。
もちろん勝手に学校で練習なんてできませんので
高校の音楽の先生に相談し、学校が開く7時から授業が始まるまで
そして昼休みの時間に音楽室を使わせていただくことを交渉しました。
母としては「どうせ続かないだろう」と思っていたようですが
私の行動力に折れたようで、応援の言葉はなかったのですが
音大受験を渋々と認めてくれました。
このように自分でレッスンの先生を見つけてきて
自分で練習環境を準備して、と一人で頑張ってきたので
決して恵まれた環境(お嬢様的な環境)だったとは言えないと思います。
無我夢中だった音大時代
素晴らしい先生の熱いご指導と見事な采配のおかげで
無事に昭和音楽大学に入学することができたのですが
音大時代は本当に楽しかったですよね。
先生にも恵まれたし、お友達にもいい刺激をもらえたし
音大での4年間は本当に素晴らしいものでした。
そして何よりもやっぱり練習環境が整っていたのが嬉しかったですね。
当時住んでいた音大生用のアパートは夜10時まで吹けたし
授業の空き時間に学校の練習室も使えたりできたし
音楽は練習が命ですからね、これが本当に嬉しかった。
自分調べですが、誰よりも練習できたので
割と成績もよくいろんなチャンスにも恵まれました。
2年生からオーケストラでオペラ公演に参加させてもらえたり
ピアノやサックスの協奏曲を吹かせてもらえたりしたし
選抜生の吹奏楽ではピッコロも吹かせてもらえました。
ピッコロは本当に勉強になりました。
フルートを吹く以上に繊細だし、コントロールが難しいし
自分でなんとかしなきゃいけない場面を多く
すっごく頭を使うという機会を得ることができました。
またありがたいことにコンチェルトでのソリストも務めさせていただき
おそらく学費以上の経験をさせていただけたのではないかと思っています。
でもね、人生っていい時もあればそうじゃない時もありますよね。
そんなお話はまた次回。
たけしたよしこ裏プロフィール
①吹奏楽編
②音大編
③講師編
④演奏家編