たけしたよしことは?
私の経歴は『プロフィール』のページで紹介していますので
いつからフルートを始めて、どこで勉強して
そういう流れで今に至ったのかがわかると思いますが
今回は少し自分のことを紹介したいと思います。
私はサラリーマンの父と専業主婦の母の間に生まれた
ごく普通の家庭に育ったごくごく普通の人です。
この世界だと両親が音楽家、父あるいは母が音楽家
というサラブレッドが多いのですが私は叩き上げです。
唯一の救いは父がクラシック音楽を聴くことが好きで
家にはカラヤンやバーンスタインのレコードがあり
よく家の中や車の中で流れていたことでしょうか。
私の子守唄はカラヤンとバーンスタイン、ということにしています。
よくあるパターンで5歳からピアノを習い始め
小学校4年生の時に吹奏楽部に入部してフルートを始めます。
部活に行かなかった小学校時代
最初にフルートを吹きたいと思ったのは小学校2年生だったと思うのですが
テレビでフルートを吹く少年の物語を見て「私も吹きたい」と思ったのが最初でした。
小学校3年生で市川の学校に転校し、4年生の時に吹奏楽部に入り
そこから私のフルート人生が始まります。
やっと憧れていたフルートが吹ける、というふうになったのですが
この頃のタケシタさんは自由奔放で超マイペース。
朝練は行かないし、放課後の練習はお友達とのお約束を優先していたので
あんまり部活の練習には参加しなかったんですよね。
だから全然吹けるようにはならないし、吹けても音汚いし
上級生には怒られ、顧問の先生にも呼び出しをくらっていました。
こんな感じで6年生まで一応は在籍していましたが
今思えば、よく辞めさせられなかったなと思います。
人生の転機となった中学校時代
人間そんなには簡単には変わりません。
相変わらず朝練は行かない、よくて遅刻。
中学校というのは先輩がとても可愛がってくださるところ
よく人気の少ない場所に連れてってもらい
とても熱いお話を聞かせてくいただきました。
そんなことが続くのかとも思ったのですが
2年生になり二つの大きな出来事が起こりました。
一つ目が、一年後に仙台へ転校するということ。
父の転勤が決まったのですが
ちょうど姉の大学進学準備と重なったため
先に父だけが仙台に行き、一年後に母と私が仙台に行くということになったのです。
「一年後には転校しなくてはいけない」
「何か思い出になることがしたい」
と思って『吹奏楽部を頑張る』と決め、真面目に参加するようになったのです。
二つ目が、サヴァリッシュ指揮 / フィラデルフィア管弦楽団の演奏を聞いたこと。
母がチケットを買ってくれ家族で観に行ったのですが
その演奏があまりにも衝撃的すぎて、感動で全身が震えてしまったんです。
おそらく生まれて初めての最大級の感動だったのでしょう。
そのコンサートをきっかけに『プロになりたい』と思い
フルートを真面目に吹くようになったのです。
そんな2年生を過ごしていましたので
「仙台の学校でも吹奏楽を頑張りたい」
「フルートを真面目に吹きたい」と思い
「仙台では吹奏楽の強い中学校に行きたい」
と親に頼みました。
いろんな幸運が重なり前年度県代表だった中学校に転校させてもらい
3年生の引退するまで、質の高い充実した部活の時間を過ごすことができました。
高校でも吹奏楽部
もちろん、高校でも吹奏楽部に入ります。
高校は吹奏楽部の強い学校を選びましたので
朝から晩まで、一年380日は部活という日々を過ごしていました。
そして『プロになる』という夢を叶えるために
音大に行く準備を始めます。
ここまでくるとおそらく皆さんは
「母親と二人三脚で音大受験の準備をするのかな?」
「家に防音室があっていつでも練習できる環境だったのかな?」
なんて思うのでしょうけど
ここからタケシタさんの叩き上げ人生が始まるのです。
タケシタさん、フルート吹いているし
見た目もこんな感じだし、ゆっくり喋るのんびり屋さんなのですが
こう見えて行動力だけはあるんですよ。
そんなお話はまた次回
たけしたよしこ裏プロフィール
①吹奏楽編
②音大編
③講師編
④演奏家編
千葉県市川市・本八幡
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